国立新美術館で開催中の
「ルーシー・リー展 ウィーン、ロンドン、都市に生きた陶芸家」
に行ってきました。
素晴らしかったです。
とても。
95年の没後、大々的な回顧展としては日本初。
これは行くしかないでしょう!!!
初期、形成期、円熟期と変化していく作品たちも、どれも本当にため息が出るほど素晴らしかったけれど、何より、ルーシー・リーという、激動の時代に陶芸にまっすぐに向きあって生きた女性の「魂」に触れることが出来るような回顧展だった。
ナチスの迫害を逃れ、故郷のウィーンからイギリスへ亡命。
一緒に亡命した夫とも離婚し、その後、彼女は93歳で亡くなるまで、ロンドンでひとりで暮らし、陶芸活動にただひたすら打ち込む。
本格的に評価をされるようになったのは60歳近くになってのこと。
当時のイギリスの陶芸界をひっぱっていたのは、日本の民藝運動にも造詣の深かったバーナード・リーチ氏。
リーチの作品に代表されるような、土の匂いのする厚手の陶器が主流だった当時のイギリスでは、ルーシー・リーの器は全く評価されなかったという。
彼女は一度はリーチ風の作陶を試みるが、工房で一緒に活動していたハンス・コパーの励ましなどもあり、再び自分の作風を追求しはじめ、やがてリーチからもその作品を評価され、交流を持つ。
彼女の作品はシャープで繊細。
でも、どこか逞しく力強く、親しみやすい。
決して、「甘やか」なだけの器ではない。
そこがとても好き。
元々、実用的な器として作られているので、展示してあるものを眺めていると
「いいなー、欲しいなあ。触りたいなあ。ああ、お料理盛りたいっ!!!」と、恐れ多くも、ムズムズする。
多分、会場にいる多くのヒトがそう思っていたはず。
いろいろなひとの頭の中には、具体的なお料理がぽわんぽわんと浮かんでいたんじゃないかなあ。
ルーシー・リーの作品は今や世界中で愛され、評価され、ルーシー・リー風のスタイルの器が雑貨店には沢山並んでいる。
勿論、それらも現代風でとっても素敵だ。
でも、ホンモノを見ると、やっぱり違うんですよね。当たり前だけど。
全然違うんだよなあ。
ホンモノなんだなあ。
会場では、イギリスで放映された、貴重なルーシー・リーのインタビュー映像が流れていた。
80歳を過ぎても、凛とした佇まいで、ろくろを操る、それはもう、とても美しいおばあちゃんだ。
真剣で厳しい横顔に、独り生きてきたひとの強さとやさしさと寂しさを垣間見た。
まるで、ルーシー・リーの器そのものだと思った。
今日のランチ。
冷蔵庫にあった生ハムと、買ってきたルッコラでパスタを。
基本はぺペロンチーノ(オリーブオイルでにんにくと鷹の爪をゆっくり炒める)。
そこに白ワインとパスタの茹で汁少々。乳化させてソースを作る。
ルッコラと生ハムをさっと混ぜて、軽く火を通す。
茹でたパスタを絡め、パルミジャーノをたっぷりと。
仕上げに美味しいオリーブオイルをひとまわし。
塩・胡椒はお好みで。
まあ、この材料だったら美味しくない訳がないやね。
ちなみに、このお皿はパリのクリニャンクールの蚤の市で購入。
アンティークのカフェオレボールで有名なDIGOINのもの。(なんと2枚で5€!)
ぽってりとしたフォルムがまさにフランスの田舎の食器という感じでかわいい。
内底にはお家と林檎の木が描かれています。
DIGOINはブルゴーニュ地方に古くからある窯のひとつだそうで。
この絵はブルゴーニュの風景なのかな。
購入した器たちはまた改めて紹介したいと思います。
割れモノを持って帰ってくるのは本当に大変だけど、こうやって旅を思い出しながら日々の暮らしで使えるのはやっぱり楽しい。
日曜日のランチ。
蕎麦と天麩羅。
そして器はウチにある川島いずみさんの蟹オールスターズ!
(大皿、取皿、蕎麦猪口。蟹の中に蛸が一匹いますけど。)
お蕎麦はお土産で貰った韃靼そば。
韃靼そばは、普通のそばの実よりも粒が小さく、栄養価が高い(フラボノイドの一種、ルチンが多い)ので健康食として知られているらしい。
天麩羅は家にあった具材で。
大葉、舞茸、海老と玉ねぎの掻揚げ、根菜の掻揚げ。
ぼてっとした衣がイヤなので、衣の水の分量を多めにしたら、素揚げみたいになってしまった。
(しかも掻揚げはバラバラになるので揚げるの苦労した)
久しぶりの揚げ物!
ふみさんから貰ったボーソー油脂の「調合こめ油」というのを使ってみた。
カラリと揚がって旨い!
確かに軽くて胸やけしない。
この油、ドレッシングなんかに使ってもいいかも。
しかし、揚げ物はいつもキンチョーするなあ。
(はねるからね!)
蕎麦猪口の、あの大きさ、あの形がとても好きで、気に入ったものを少しづつ集めている。
器道楽としては、収納スペースとお財布と相談しながら吟味している訳だけど、蕎麦猪口はお皿や鉢などに比べると小さいし、スタッキングできるので、収納シュミレーションをして自分を納得させやすいので、ついついお財布も緩むのだ。
先日も、麻布十番を歩いていて、昔ながらの器屋さんの軒先で特価で売られていた蛸唐草の蕎麦猪口を5つ程、即効ゲット!
シンプルな定番モノなので、合わせやすく、なかなか重宝している。
蕎麦猪口は口が開いているので、本来の用途以外にも、カップや器として使い勝手がいい。
珈琲やお茶を飲んだり、果物やアイスクリームなどのデザートを盛りつけたり、人が大勢来たときにはディップなんかを入れて野菜に添えて出してもアクセントになって楽しい。
手に収まる安定したこの形も、他の器にはないかわいらしさがある。
一組持ってるとなかなか便利ですよー。
蕎麦猪口。
▼川島いずみさんの蟹柄の蕎麦猪口。
少し大ぶりなので、冷うどんに薬味をたっぷり入れて食べるときなどに丁度いい。
ちなみに、この冷うどんはまんぐー名産の水沢うどん。水沢うどんは日本三大うどんのひとつなんですよー。のどごしツルツルで美味しい♪
私は滅多に食器を割らない方だと思う。
今日、めずらしく、久しぶりに、割ってしまった。
葉っぱの取っ手がついたカップ。
3つお揃い。
3つの葉っぱは濃さがグラデーションになっている。
一番薄いヤツの淵が欠け、真ん中の黄緑は見事に割れ、深緑は無事だった。
決して高価な器じゃないけれど、もう八年くらい使っていて、結構気に入っていたので哀しい。
カップとしてよりも、ヨーグルトやディップなんかを入れて食卓のアクセントにしていた。
私はなんだか葉っぱをモチーフにした器が好きみたいだ。
ということにも今さらながら気付いた。
淵が欠けたやつは、花器にするとして、黄緑のやつはさてどうしよう。
やっぱり処分するしかないかな。
日本には欠けた器を修復する金継ぎや溜め継といった伝統的な技法もあるけれど、このカップはそんな大層な処置は似つかわしくないので。
骨折して二週間。
足自体はだいぶよくなってきていると思うのだけれど、
肩こりが尋常ではない。
おそらく極度の運動不足と、無理な姿勢でパソコンをしたり、あり得ない体勢で寝ているからだと思う。
とにかくシンドイ。
とりあえず少しでも体を動かそうと思い、時間をかけてひょこひょこと近所に買い物へ。
久しぶりに近所のおばばの古道具屋や、センスのいいお花屋さんやパン屋さんをのぞく。
右足は赤のサンダル。
包帯を巻いている左足は旦那の大きな緑のサンダル。
「クリスマスみたいだねー」とおばばに笑われる。
気分転換に花を買う。
暑いので、グリーンをガラスの器に沢山飾って清涼感を出そうと思っていたのに、あまりいいグリーンがなくて、紫陽花に。
まだ梅雨あけてないし。まっ、いっか。
紫陽花を飾った器は益子で私がはじめて買った器。
釉薬のかかり方も微妙だし、作りも結構雑の片くち。
でも。
思い出深い大好きな器だ。
普段の食卓にもちょくちょく登場しているけれど、
器はこうして花を飾ると、また違う表情になるので面白い。
器問屋の日野明子さんの著書『うつわの手帖 【Ⅰ】お茶』を読む。
端正だったり、味があったり、かわいらしかったり。
様々な器たちが、その作り手さんのエピソードもまじえ丁寧に紹介されている。
文章もスッキリ的確で読みやすい。
シリーズ一冊目のようなので続編も期待!
さて。
そんな私も気付けばすっかり「器道楽」まっしぐら~。
知れば知るほど、見れば見るほど、使えばう使うほど、器道は奥が深い。
ああ、恐ろしや。
北欧のアンティークも、ヨーロッパの老舗ブランドも、アジアのキッシュな焼モノも捨てがたい!
そして、日本の民藝品や作家もの。
最近は昭和のレトロなデッドストックの器たちも気になりだしたー。
ああ、もう、本当にキリがない!
でも、スペースと予算には限界がある~!!!
誰か助けて~。笑
▼『うつわの手帖』の中でも紹介されていた有田の磁器作家の山本亮平さんの器。ウチにも二枚あります。白磁器の取り鉢。
私はどちらかというと、いかにも手作り風の無骨な風合いの器が好きなんだけれど、山本さんの器はとても滑らか。薄くて軽くて美しい。ただもうそこにあるだけで美しい。シンプルなので、料理も選ばない。なんにでも似合う。
山本さんの器は「型打ち」と云われる伝統技法で、ろくろでひいた土を、自身で作った石膏型に押しあてて作るそうだ。
昔の大量生産を思わせる懐かしい佇まいと手作りの温かさが融合した器。ちょっとずつ増やしていきたい作家さんのひとりです。
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