クラフト・エヴィング商會の吉田 篤弘さんの『それからはスープのことばかり考えて暮らした 』を読む。
とても素晴らしい一冊。
まず、もう、タイトルが素晴らしい。
凪ぎの海のような、丘を吹き抜ける風のような。
果てしなく穏やかで、優しく、心安らぐ一冊。
スパッといさぎよく切れていること。
それでいて無機質な印象にならないこと。
それが美味しいサンドイッチの口あたりになる。
美味しいサンドイッチとスープを作りたくなりますよ。
クラフト・エヴィング商會の吉田 篤弘さんの『それからはスープのことばかり考えて暮らした 』を読む。
とても素晴らしい一冊。
まず、もう、タイトルが素晴らしい。
凪ぎの海のような、丘を吹き抜ける風のような。
果てしなく穏やかで、優しく、心安らぐ一冊。
スパッといさぎよく切れていること。
それでいて無機質な印象にならないこと。
それが美味しいサンドイッチの口あたりになる。
美味しいサンドイッチとスープを作りたくなりますよ。
遅ればせながら、去年の暮れあたりから角田光代さんの小説にハマっています。
既に15冊くらいは読んだと思うのですが、先日読み終えた『八日目の蝉』。
衝撃的すぎてうまく言葉で表せないのですが。
絶望と希望が圧倒的な力で混在していて、思い出しても苦しくなるような小説です。
一文のもつ力。
その、一行が目に飛び込んできた途端、ぶわっと涙が溢れました。
自分でもびっくりした。
以前、まだ角田さんの小説を読んだことがなかったときに角田さんのインタビュー記事を読んだことがあります。
平日毎日7時には仕事場に行き執筆をはじめ、5時には仕事を終えて、自宅に戻りご飯を作る。
週末には仕事をしない。
そんな内容でした。
まだ若いのにこんな風に規則正しく執筆をする小説家もいるんだなあ、そんな人が書く小説はどんなだろうか、
と、そのインタビューの内容はずっと頭の隅に残っていたのでした。
角田さんの小説は、そんな規則正しい生活ぶりからはちょっと想像できないような内容でした。
でも、なんとなくテーマは常に同じところにあるような気がします。
遅く起きたのでブランチ。
三日目のお節です。さすがに飽きた、、、。
(しかも、写真の焼餅が美しくなくてすみません。焼き網を処分してしまい、トースターで焼いたものの上手く焼けず~)
旦那の実家に帰省する予定が少し変更になり、のんびりしたお正月を過ごしています!
今日は散歩がてら近くの八幡さまに初詣。
おみくじは今年も大吉でした。しかもかなりいい内容。単純に嬉しい。
バルタザール・グラシアンの『賢人の知恵』を読む。
うーーーん。
あまり感銘受けず。
こういう本は読むタイミングによるんでしょうね。
本の装丁やレイアウトや作りは丁寧でとっても好きな感じ。
料理も掃除も洗濯も今日までは必要最低限しかやらないつもり。
でも、すっかりお正月料理に飽きて、トマトソースを煮込んでいる私です。
夜はパスタかな、、、。
元旦の空は快晴。
窓の外を行き交う人はほとんどいなくて、世界が止まっているみたいに静か。
旦那は仕事なので、私は家でひとり。
ごろり、ごろりとしながら、のんびり空を眺めては本を読む。
そんな訳で今年最初に読破したのは西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』。
元旦から、サイバラって。
しかも、泣いてしまいましたがね。
いい本ですよ。オススメ。
よしもとばななさんの『海のふた』を読む。
本棚に放置されていた一冊。本にも読み頃があるんです。
一時期、このひとの本は全く読めなくなっていたけれど、最近またハマっています。
なんとなくどの物語も基本的には同じようなことを云っているような気がするのですが
たぶんそれは間違いではなくて、このひと自身が確か初期の作品のあとがきの中で
「書きたいことはただひとつ。それをずっと書いてゆく」
というような意味のことを云っていたような気がします。
このひとの作品を読むと「ああ、本当に、書きたいことはただひとつなんだろうなあ」と、ちゃんと伝わってきます。
それって実はすごいことだと思う。
この『海のふた』はかき氷屋さんのオンナノコの物語。
故郷のこと。仕事をするということ。ヒトを信じるということ。生きていくということ。
そういう誰もが抱えている、面倒くさいけど大切な部分の核心がさらりと書かれています。
夏は毎年かき氷屋さんをやると云っていた、やきいも屋台のいもこちゃんに早速この本を薦めてみました。
前から読みたかった小川糸さんの『食堂かたつむり』を読む。
ちょっと物悲しくて、でもあったかくて、オトナの童話という感じかな。
何気なく本屋さんで手にとって何気なく読んだらものすごく感動したカモしれないけど、
いろいろなところで絶賛されているのを見てしまった後なので少し物足りなさも残る。
とはいえ、やはり美味しい食事をとるということはスバラシイことで。
時には本当に奇跡さえも起こるのかもしれない。
と思いました。
私も食材に寄り添うように、丁寧に料理ができるようになりたいな。
ところで、タイトルや、登場人物のエルメスやオカンというワードがこれまで話題になった小説を彷彿とさせるのは私の気のせい?作者の意図?笑
自由が丘のモンサンクレールのオーナーパティシエ辻口博啓さんの半生をつづった『スーパーパティシエ物語―ケーキ職人・辻口博啓の生き方』を読みました。
読み始めて、あれ?と思ったのが、これ、たぶん小学生くらいのこどもでも読めるような文体で書かれています。
(勿論、オトナも存分に楽しめます)
ノンフィクションながら、物語性があってぐいぐい読み進めることが出来ます。
いやー、面白かった。
スクーリングパッドのセッションで、二度ほど辻口さんのお話を聞く機会があったのですが、そのときも「すごいヒトだなあ」と感じ入りました。
ホントに、この本の通りのヒトです。
成功する一流のヒトが必ず持っている「ド変態的偏執狂」とでもいいましょうか。(これ、最上の褒め言葉ですから!)
あきらめない姿勢、とことん追及する姿勢、先を読む姿勢、新しいことを産み続ける姿勢。
それらを実行するための情熱と理論のバランス。
そして気の遠くなるようなひたむきな努力。
誰もが皆、辻口さんのように自分の道を一心不乱に進めるわけではないかもしれないけれど。
それでも、自分の人生を自分らしく、少しでも後悔なく生きたいと思っているヒトにはきっと何かしら響く本ではないかと思います。
親子で読むのもオススメ!
なんでみんないいわけばっかりしてるんだろう。
やればいいじゃん。ただ、やればいい。どうなりたいのか、願う方角へむかって。
ほかのヤツらは、そうかもしれない。でもオレはちがう。いいわけはしない。たとえどんなことがあってもいいわけはしない。人のせいにはしない。それは意味がない。
元マイクロソフト日本法人の社長、現インスパイア社長の成毛眞氏といえば実業界きっての読書家としても有名。
そんな成毛さんの著書『本は10冊同時に読め!』を読む。
いやー、面白かった!
本を読まないひとはサルだ。本を読まないひととは付き合うな。本を読まないと庶民から抜け出れない。
など、など。
ちょっと乱暴で過激な紋切り型の発言も多く、この辺りは賛否両論かとは思いますが、内容としてはなかなか面白かったです。
私も常に様々なジャンルの本を5~7冊くらいは平行して読み散らかしているタイプで、その中には途中で読むのを止めてしまうものやあまり印象に残らないものもあるけれど、この「超並列」読書術(このネーミングはどうかと思うけど、、、)によればそれはそれでいいみたい。
成毛さんがこの本で推奨している「超並列」読書術っていうのは、要は、仕事に必要な専門分野の本ばかり読んでても全く意味はなくて、いろんなジャンルの本を同時に読んで脳の様々な部分を刺激し、インプットした異なった種類の情報を、自分の中で取捨選択したり攪拌したりすることによって、これまでにないアイデアが生まれてくる、というようなことらしい。
まあ、私の場合、読書に関しては何か目的がある訳ではなく(成毛さんも「目的を持って読書をするな」とは云っている)、あくまで趣味なので、読みたいものを読みたいときに読みたいだけ読めれば幸せなんですが。
成毛さんのように「本を読まないひととは付き合うな!」と一刀両断にする気は全くないけれど、本は読まないよりも読んだ方がいいとは思う。これは絶対にそう。
最近、仕事などで「想像力がないなあ」と思うヒトに会うことが多く、話をすると大抵本を読まないひとだったりする。
想像力(創造力でもいいけど)って、別にクリエイティブな仕事にだけ当てはまるのではなく、企画でも、経理でも、事務でも、秘書でも、どんな仕事にも必要で不可欠なものだと思う。勿論、主婦にだって。
このままこのプランを進めたらどんなことが起こるか。このメールを受けたら相手はどんな風に感じるか。
仕事や生活を円滑に進めるために、些細なことでも想像力を駆使して、自分と相手の立場や状況を踏まえ、対応する。
当たり前のことのようで、全く出来ないひとが意外といて、たまにのけぞります。
(と、私もヒトの事を言えるほど、出来てはいないのだけれど、、、)
そんなヒトに会うたびに「うーん。想像力が欠落しているのねえ」と思う。
じゃあ、本を読むだけで想像力が豊かになって仕事も人間関係もスムーズに行くようになるのかというと、勿論世の中そんなに単純ではない。
でも、読まないよりは読んだ方が、人生は豊かになると思うのです。
特に小さい頃に本を読む習慣をつけるということが大切だと、オトナになった今思う。
(無理に読ませるということではなく、本を読む楽しみを子どもに教えてあげるということね)
私が人生の中で一番本を読んだのは小学校3年生の夏で、近所の市立図書館にトモダチのやえもんと1日2回通っていた。
1回で借りれる本が3冊だったから1日6冊も読んでいた。それも毎日。
あっという間に小学生の読めそうな棚は制覇してしまい、中学生が読むような小さな字の単行本に手を出したのもこの頃。(このまま、読書道をまっすぐ進んでいたらたいそうな読書家になっていたと思うのですが、この後漫画に走ります。まあ、それはそれで悪くはなかったと思うけれど)
とにかく、小さい頃にとりつかれたように夢中で本を読んだあの夏の経験が、今でも私を本につなげているような気がします。
楽しんでいろんなジャンルの本を読もう!
「積読」って知ってますか?
文字通り、買った本を読まずに積んでおくこと。
読書が娯楽の中心だった明治時代に普及した言葉らしい。
アメリカで日本文学を研究している私の叔父(ちょっと風変わり!)は「本屋さんで本と目があったら買う」と云っていた。
私はそれを名言だと思う。「本と目が合う」その感覚、とってもよく分かる。
内容も分からないのに一目見て「欲しい!読みたい!」と思う本。
叔父曰く、目が合った本は今すぐには読まなくても、いずれ必要になる本なんだそうだ。
だから目が合ったら手元に置いておかなくてはいけない、と。
今でこそamazonがこれだけ普及しているけれど、確かに一昔前は書店で見かけた本を数年後に購入しようと思うとよっぽどのベストセラーでないかぎり難しいし面倒くさかった。
前置きが長くなってしまったけれど、昨日から読み始めたパトリス・ジュリアンの『いんげん豆がおしえてくれたこと』は、そんな私の積読本の一冊。昨日、「そういえば、、、」とふと本棚からひっぱりだして読み始めたらこれがものすごく面白い。
10年ほど前に出版されたもので、当時は表紙とタイトルにひかれ(また、中の紙がざら紙と黄色紙で交互に構成されていて洒落ていた)購入。私自身まだ料理には興味がなかった頃なのでパトリス・ジュリアンが料理家(厳密にいうとライフスタイルデザイナー?)であるという意識は全くなかった。そうして、読もう読もうと思いつつそのまま本棚へ。
最近料理をするようになってパトリス・ジュリアンのレシピ本を本屋さんで何の気なしに購入。
洒落た作りの写真も美しい本なので実際にレシピを参考にするというよりは眺めて楽しむという感じだった。
昨日これらのレシピ本をパラパラと眺めていたときに「もしかして、エッセイ本を持っているかも、、、」とピンときて本棚を捜したのだけれど、まさか10年前に彼のエッセイを買っているとはね。なかなか面白い驚きでした。
10年前に読んでいたらそれはそれで後々の生活に影響を与えるべく私の中に残ったと思うけれど、今ほど共感できなかったのは間違いない。「普段の生活を大切にする」という感覚はお恥ずかしながら最近ようやく分かってきたところ。日本でもLOHASだ、スローフードだ、昭和だ、古民家だ、といろいろなムーブメントが起こっているけれど、10年前に出たこの本にはそのあたりのことも全部ちゃんと書かれていて、今読んでも充分参考になる。
大切なのはもてなすことを楽しむこと、誰かに喜んでもらおうという自分自身の喜びの気持ちだ。
けれどもこうしたおもてなし上手になるには、普段からの心掛けが必要になってくる。つまり、本当のおもてなしとは、自分の中から始まっているということ。もし僕が毎日の生活の中で、自分自身のことを大切なお客様のように思うことができていれば、僕は何の準備もなく、他の人間を自分の生活の中に迎え入れることができるはず。
ということで、今からまた続きを読みます。
▼そんな訳で、昨日の夕飯はパトリス・ジュリアン氏のレシピからクスクスのサラダ。その他に、蕪と海老の熱々グラタン、豚肉と葱のパスタ、バゲット。先日購入した土岐の大鉢に早速パスタを盛ってみた!いい感じ♪
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