先日、久しぶりに会う弟と何故か本屋さんに行く機会があり、久しぶりに思い出したことがある。
私の実家は群馬の田舎で、両親はまあ人並みに、礼儀や躾や教育にうるさかった。
なので、欲しいおもちゃを無制限に買い与えてくれるような親ではなかったが、父も母も本が大好きだったこともあり、本屋さんで買い物をする時だけはいつも全く制限がなかった。「はいはい〜。欲しいものなんでも持っといで〜」という感じ。(自分たちが山のように買っていたから!)
本屋さんは子供心に「なんでも買ってもらえる夢のようなところ」だった。
父に「本屋さんに行くけど、一緒に行く?」と云われると嬉しくて、何をしてても「行く〜!」とバタバタと慌てて父の後を追った。
記憶が定かではないけれども、幼稚園から高校くらいまで家族で本屋さんに行っていたような気がする。
何かのついでで本屋さんに寄るのではなく、本屋さんに行く為に家族で出掛ける。
今思うとちょっと変かもしれません。ふふっ。
そんな訳で、私も弟も本好きです。
それにしても、子供の頃は、どうしてあんなにも、お気に入りの本を何度も何度も読み返せたんだろう。
そういう本には大人になってから、まだ出会えてないなあ。
はじめまして、ヨシといいます。
頬杖blog は気が向くとたまに拝見させてもらっています。勝手にですけどね。
なんだか、この本好きのルーツを読んで、あったかい気持ちになったので、コメントに書いてしまいました。
何かのついでで本屋さんに寄るのではなく、本屋さんに行く為に家族で出掛ける。
なんか、いいですね。
僕はまだ子供いませんが、自分の子供ができたら本が好きなコに育てないな~って思っいたのでこんな家庭だったらいいなぁって素直に思っちゃいました!!
小さいころに読んだものって、きっと大きくなって役に立つっていうか、何かしらの自分を形成するものとなりますよね。
いいですね~
これからもきまぐれに、のぞかせてもらいます。
寒くなってきましたけど、体には気をつけてくださいね。
それでは、お邪魔しました。
投稿情報: yoshi | 2004-10-14 00:59
ヨシさん。
はじめまして。
嬉しいコメント!!!
有り難うございます。
こちらこそあったかい気持ちになりましたー。
>小さいころに読んだものって、きっと大きくなって役に立つっていうか、何かしらの自分を形成するものとなりますよね。
ほんと、そうですね。
実体験も含め、子供の頃に見たもの聞いたもの感じたものがすべて、今の「自分らしさ」の由来だなあと思うと、親の役割って重要だなって思います。と云っても、堅苦しい意味ではなく、親が楽しんでいる姿を子供に見せるという、そういう単純な事に意味があるような気もします。
また、気が向いたらお気軽にコメントしてくださいね。
投稿情報: okuizumi | 2004-10-15 00:06
私も本好きでしたよ~。小学校では図書館に居る時間が長かったです。私も、大人になってから何度も読み直す本は、ないですね~。不思議ですね~。感受性が段々衰えているのかしら?人間関係に感性がすり減らされているのかもね。
投稿情報: べええ | 2004-10-20 09:08
すごくいいお話~
昨日はサプライズありがとうございました◎
最近のブログに貼ってあったリンクからここまできてこんなところにコメント残してごめんなさい^^;
私がまだりえこさんに出会う前の日記ですね。
うちも似たところがあって、おもちゃは買ってくれないけど本はいつも沢山あり、両親が自営業の頃、2人が仕事してる間連れてる幼い私が1人でも時間をつぶせるように、どこかに行くときは必ず本を買ってもらったのがすごく嬉しかったのをよく覚えてます。
投稿情報: ten | 2007-10-03 11:07