大仰なタイトルですんません(笑)
昨日は母親の59歳の誕生日。
離れているので、電話を入れたところ留守だったのでメールを送る。
(プレゼントは、お正月に帰ったときに1/4生まれの父親の分と一緒に渡してきた)
メールの返事には
「来年はいよいよ60の大台。最後の50代。これまでのように生きがいが感じられる楽しい毎日に成るよう頑張りまーす」
とあった。
我が親ながら、前向きな姿勢に頭が下がる。ちょっとジーンときましたね。(「まーす」というメールの最後はどうかと思うけど。笑)
母親は、2年程前まで所謂大手企業で経理関係の仕事をしていた。
ずっと経理畑だった訳ではなく、長く総務系の事務の仕事をやってきて、経理の仕事に就いたのは50になるかならないかの頃。私が帰省すると、慣れない手つきでエクセルの表と格闘しながら、いろいろと質問責めにあったのを憶えている。
高校卒業から40年弱という期間をこの企業で過ごし、そして退職した。所謂50歳以上の早期退職制度にのっとっての希望退職だったが、要はリストラですね。もっとう〜んと若い頃に何度か辞めようかと思った時期もあったようだが、家族や周囲の助けもあり勤め続けた会社だった。何より、母は自分の勤める会社が好きだったんだと思う。最後まできちんと勤めあげたかったんじゃないかと思う。それでも、相談されたとき「もういいじゃん。これから、新しい職場になんかなったら本当に大変だよ。のんびりしなよ。」と云ってしまった。それは、それで私からの本心だった。
ウチの父親(変わり者!笑)は公務員なので、家計が苦しかった訳ではない。
戦争で祖父(母にとっては父)を亡くしていた母は、当時の女性の多くがそうだったように高校を卒業するとすぐ就職したそうだ。「大学に行って勉強できなかった分、仕事を通じて勉強したかった。」と、私が大人になってから聞いたことがある。
そういう「自分の我侭」で仕事を続けているという負い目からか、家事も完璧にこなすヒトだった。
朝早く起きて、掃除・洗濯・食事の用意。遅くなる日は家族の夕飯の支度までこなし仕事に出掛けていた。働いているせいか、当時は(笑)他のお母さんたちに比べてどこかアカ抜けていたのもこども心に自慢だった。いつも笑顔で、優しかった。本当に。
母親の生きがいっていうのは、家族であり、子育てであり、仕事だったんだなあ、とこの頃になってしみじみ思う。そんな生きがいがなくなってしまった、離れて暮らす年老いた親(父親も含め)のことを思うと心配で胸が痛くなるが、私のようなへなちょこ人生を送ってるこどもに心配されるような母親でもないなあ、と思う。(実際、「おまえの方が心配だわよ」とよく云われる)
元気で長生きしてほしいなあ。本当に。
ところで。
今の私に堂々と「これぞ、生きがい!」と云えるものがあるかという、ない。全くない。う〜ん。困った。かといって、あれもこれも欲しい欲張りな私であるが、母のようにいろいろなことを完璧にこなせるかというとそういう自信もない。全くない!
まあ、そのへんはマイペースに見つけて、折り合いをつけていこうと思っています。
前向きなところだけは親ゆずりってことで。
料理が上手くて、可憐で、聡明。
というのが、小さいころから私がもってる伯母さんのイメージ。今もあのころのまま、ご活躍のようで何よりです。
そういう女性に育てられて、またそういうお手本がすぐそばで見られて、あなたはラッキーでしたね。
私にとってもぜひ見習いたい女性の一人。これからの動向もたのしみです。
とくれば、変わり者(すみません!)の伯父さんの動向はさらに気になるところではありますが。
投稿情報: Imai Kayoko | 2004-01-19 15:54
なんと、すごい誉め言葉!ありがとー。
今ではだいぶ老けてしまわれましたが、本人に伝えておきます(笑)
そうそう、台湾に行きたがっていたので連れて行きます。アテンド宜しく。
変わり者の動向は改めて(笑)
投稿情報: okuizumi | 2004-01-20 22:16