鹿児島旅行では知覧町にも行きました。
知覧の武家屋敷群を見てみたいと思っていたのですが、年配の知人の方から「知覧に行くなら知覧特攻平和会館に」と云われ、武家屋敷群に行く前に寄りました。
恥ずかしいことに知覧が、終戦前の沖縄戦の特攻基地になっていたことなんて全然知りませんでした。
いや。何かで読んだりしたことはあったかもしれないのに、全く、実感として私の中に存在していないものでした。
質素な佇まいの平和会館には実際に使われたボロボロの戦闘機などとともに、10代後半から20代前半の特攻隊の直筆の遺書や家族に宛てた手紙が遺影や遺品とともに陳列されています。
その夥しい数の手紙が、若くして散ってゆくしかなかった特攻隊員の数の多さを物語っていて、まず打ちのめされます。
どの手紙も、本当に流れるような美しい毛筆で、目を見張ります。
父や母や姉妹や恋人に宛てた、潔くも、感謝の溢れる温かい文章。
短い人生の、最後の最後の言葉。
その覚悟に、その重みに、そのきっちりとした美しい日本語に、本当に胸が締め付けられます。
遺影の顔はまだあどけないのに、ちょっと前の日本の若者たちはこんなにもしっかりとした素晴らしい文章を書いていたのかと胸を打たれます。
手紙の文字を目で追いながら、気付くとぽろぽろと涙が溢れ出ていました。
本当に泣けて泣けて仕方がありませんでした。
今、思い出しても苦しくなります。
この気持ちをどうやって表わしていいのかよく分かりません。
ただ、思うのは、日本はたった数十年で本当に劇的に変わったんだなあ、ということです。
それは何がいいとか悪いとかではなくて。ただ事実としてそう思います。
ぼろぼろと泣いた後に、それでも私は知覧で名物のお茶をお土産に買って、指宿で砂風呂に入って。
暢気なものです。
これが今の私の現実です。
そういうギャップにも戸惑いました。
でも、何が出来る訳でもないですが、まずは知ることが大事だと思いました。
知る前と後とでは何かが違う。
全然違う、と思いました。
そして、ギャップを感じること。
今私に出来るのはそれくらいです。
鹿児島に行く機会があれば、是非、知覧まで足をのばしてみて欲しいと思います。
▼いくつか映画もあるようです。旅行から戻り早速DVDを借りて観ました。
『俺は、君のためにこそ死ににいく』
▼江戸時代の武家屋敷が残る知覧武家屋敷群。美しい庭園を見ることができます。
歩き疲れたら知覧茶と鹿児島の郷土菓子灰汁巻き(あくまき)で一休み。灰汁巻きとは文字通り、灰汁に浸したもち米を、竹の皮に包み長時間煮込んで作る鹿児島独特の「ちまき」。きな粉をかけて頂きます。 端午の節句を祝う食べ物だそうですが、昔は薩摩藩の兵糧だったそうです。確かにお腹にたまります。特攻隊員たちにも振舞われたそうです。
▼関東ではあまり知られていないと思いますが、知覧町は静岡、京都につぐ銘茶の産地でもあります。
広大な茶畑がどこまでもどこまでも続いています。
この後、指宿に移動中、ゲリラ豪雨に襲われました。
知覧特攻平和会館は泣けますね。
映画にもなった、富屋食堂の「ホタル」の話がまた泣けます。
鹿児島旅行記を読ませて頂いて、わが郷土を懐かしく思い出してます。「古里は遠きにありて思うもの」ですね。
投稿情報: 武装戦線(笹塚) | 2008-09-12 00:00
知覧では復刻された富谷食堂も見ました!
「ホタル」は貸し出し中だったので、いずれ見たいです。
この週末にTVでも特攻隊のドラマ化されたものが放映されるようですね。見なくちゃ。http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2008/080725nadeshiko.html
投稿情報: おっくぼ | 2008-09-18 13:09