気がつけば渡欧して10日!
ちょうど折り返しです。
アムステルダム、ブリュッセル、パリを経て、
またブリュッセルに戻ってきました。
んー、いろんな事がありました。
まさに珍道中!
もう少し、自分の備忘録的にも頻繁にブログをアップしたいと思いつつ、
毎日、気絶するように寝てしまっていました。あはは。
明後日から後半戦。
ウィーン経由(何故?)のストックホルム、一日ブリュッセルでまったりして、ロンドンへ。
一昨日は一緒に来ていた悪友のモリが帰国。
昨日からブリュッセルを一人歩きしています。
今日は、ブリュッセルから電車で一時間の運河の街ブルージュに行ってきました。
ブルージュは中世の雰囲気がそのまま残る町並みで有名。
世界遺産にも登録されているそうです。
観光地化はされていますが、のどかで素敵なところでした。
どこをとっても絵になりますが、何といっても空が圧巻。
マグリットがあんな風な空を描いた理由が分かります。
▼鎌倉市農協連即売所(市場)で見つけたちょっと珍しい鎌倉野菜。
たまごナスと紫ニンジン。
早速、調理。
たまごナスは、美味しいお塩とオリーブオイルでグリル。(熱々を食べたくて、写真なし)
皮が堅いので剥いた方がいいかも。
中身がぎゅっとつまった感じで、美味しい。
ズッキーニに近い感じ!?
▼紫ニンジンは切り口があまりにもキュートで、焼きレンコンのサラダのトッピングで遊んでみました。
味も甘みがあって、香りが濃厚で美味しい!食感が林檎に似ているような。
▼鎌倉市農協連即売所は昭和3年から続く市場とのこと。売り手のおじさん、おばさんとも話が弾みました。市場は楽しいな。フランスでもマルシェに行くのが楽しみです!
この市場の並びにあるという人気の『鎌倉しふぉん』は月曜定休でした。残念。次回のお愉しみに!
鎌倉弾丸プチプラ旅行。
まずはごはん編です。
▼海なし県に生まれたもので、海を見ると無駄にコーフンします。
今回も、海辺でお弁当を食べたいっと思い、急遽出掛ける前にお弁当を作る。(ホントに無駄な労力!)
日曜日の遅めのランチ。結局、海辺には行かずホテル(鎌倉プリンスに宿泊)の部屋から、海を見ながらお弁当。(お腹がすきすぎた!)
こういうところ、我ながらほんとーに子供っぽいと思います。
▼七里ガ浜から鎌倉に移動し、小町通りの「なると屋+典座」にて夜ごはん。
落ち着いた感じの、おされ系和食カフェという感じ。
教えてくれた友人からのメールに「○○は予算15000円くらい、なると屋は1500円くらい」とあって「ランチの値段かな~」と思っていたら、夜もメニューは定食三種類のみでこのお値段だったのでした。びっくり!
鎌倉で採れた野菜たっぷりのヘルシー定食。美味しかったです。
▼食後の後は散歩も兼ねて、西口のスターバックス鎌倉御成町店 へ。こちらは、「フクちゃん」で有名な漫画家、横山隆一氏の邸宅跡地に建てられた鎌倉らしいスタバです。テラス席は、横山邸にあったプールなどもそのまま活かされていて、とても開放的な気持ちのいい空間でした。夜お茶にピッタリ!
(とはいえ、21時には閉店です。鎌倉の夜ははやいのでチウイ~)
地元のひとらしきお客さんが、それぞれカフェワークに励んでいました。
こんな、素敵なスタバが家の近くにあったらいいよねえ。
▼朝ごはん。今回のショートトリップの目的のひとつ。
老舗コーヒー店「イワタコーヒー店」のホットケーキです!
このぶ厚さ!この愛くるしいぽってりとした姿!美味しくない訳がないと思わせる風貌。
卵とバターの香りが口の中にふんわりと広がって、なんだか懐かしい感じ。
ちなみに二人でひとつ(一枚づつ)で充分のボリュームです。
土日は行列の絶えない人気店のようですが、平日の朝は並ばずに、窓際の席をゲット出来ました。
(キレイなお庭を眺められる窓際がおススメ!)
▼ランチ。今回のショートトリップの最大の目的!おざわの玉子焼御膳です。出汁巻き卵好きな私は、学生時代から鎌倉に来ると、この玉子焼御膳を食べるのが楽しみでした。去年の秋に鎌倉に来たときは、あまりにも長蛇の列だったので諦めましたが、今回は待ち時間なしで入店。ここの玉子焼を食べるのは10年ぶりくらいです。店内は改装されてキレイになっていました。相変わらず、ふんわり、甘辛で美味しかった。甘い卵焼きが苦手なひとにはおススメしません。ちなみに卵は4個使用だそうです。昔はペロリといけましたが、さすがに苦しかったなあ。当分、卵はいいや、という感じです。でも、満足な美味しさ!
▼晩御飯。帰りがてら、腰越の「しらすや」で生シラス丼を食べる。
腰越漁港はシラスで有名な漁港。ここは網元直営のお店なので、新鮮なしらすが良心的なお値段で食べられます。
生しらすと釜揚げしらすの二色丼(私)と、生しらすとイナダの二色丼(旦那)。
うーん。とろけるような生シラスに感激!やっぱり、この辺りに来たら生シラスは食べなくちゃね。
ベルギー行き、確定しました。
来月、渡欧します。
私は行動的に見られがちなんですが、実は面倒くさがりで、腰も重い。
友人のSEVENのいるベルギーにも「行こう、行こう」と思いつつ、早数年。
特にヨーロッパは、長い休みの取りにくいOL時代にはなかなか行く気になれなかったのですが、今のこの自由な時間を逃したらいつ行くんだ、ということでようやく動きました!
行くと決めたら、すっかり旅モードに突入~!(単純!)
隣国に行くのに電車で2時間というベルギーの利点を生かし、ベルギーを拠点にオランダ、フランス、イギリスなどに行く予定。
ちょっと足を伸ばして北欧スウェーデンにも行ってみたい。
ということで、早速、パリの本を二冊読みました。(ホント、たんじゅーん!)
何かおススメの本や、おススメ情報があれば教えてくださいね~。
銅版画家 山本容子さんのパリの旅エッセイ。
フランスパンやフルーツを買ったときの紙袋や、ビストロのメニューやペーパークロスや紙ナプキン、メトロの切符などが、山本さんのセンス抜群のイラストとコラージュされていて、眺めているだけでも楽しい一冊。
これはお気に入りの一冊で、もう何度も読んでいるのですが、早速本棚からひっぱり出してきてじっくり読み直しました。
こちらは購入したまま未読だった、パーカッショニストの猫沢エミさんのパリ在住エッセイ。
彼女の文章は明確で読みやすい。
女性のエッセイにしては客観的で冷静な感じも好きです。
これだけイメージと現実が食い違う街も珍しい、と猫沢さんは表現しているけど、
私も学生時代パリにはじめて行ったときに全く同じことを感じて衝撃を受けた。
そこがまたパリの面白さであり、魅力だとも猫沢さんは言う。
私は今回もショートトリップの旅行者としてのパリだけど、20代最初に行ったパリと、今の自分が感じるパリがどれくらい違うのか、今から楽しみです。
台風接近中のニュースが続いていますね。
鹿児島旅行に行ったばかりなので、鹿児島や奄美の映像がニュースで出ると「ああっ!」とか「おおっ!」と思います。
そんな風に自分の日常に大事なものや好きなものが増えるのも旅の醍醐味ですね。
さて、今日はそんな旅の記録。
奄美での泥染めのお話です。
青山でギャラリーをやっている友人のいっちーさんに「奄美に行くなら泥染め体験を!」と薦められたのがきっかけ。
紹介してもらった泥染公園は残念ながらお休みだったのですが、探して行った「肥後染色」さんの泥染工房がこれまたとっても素敵なところで、すっかりその魅力にハマりました。
大島紬といえば泥染め!(奄美に行く前の私の知識はここまで。 「泥染め」という言葉は知っていたけど、それが具体的にどんなものかは知りませんでした。)
泥染めは大島紬の一工程として、古くから奄美に伝わる伝統技術です。
大島紬独特のあの美しい風合いの黒褐色は糸を泥で染めることで生まれています。
大島紬の泥染めは、まずはテーチ木という奄美に自生する木を細かくして、時間をかけて煮出した汁からつくる染料に漬込む作業からはじまります。山に行って木を伐採し(数年後にはまた塗料をとるために育つよう伐採します)、染料となる汁を煮出すまでもかなりの重労働です。
このテーチ木の染料に何度も漬込むことで、糸はここで白からオレンジ、そして茶褐色へと変化していきます。
茶褐色に変化した糸は泥田で染められます。奄美の泥はきめが細かく粒子が丸く(なので、糸が傷つかないそうです)、鉄分が豊富。テーチ木にはタンニンが含まれているので、このタンニンと鉄分が反応し、化合して黒褐色へと変化するわけです。
つまり、最初のテーチ木染めが重要になってくるわけですね。ここできちんと染めておかないと、いくら泥につけても黒にはならないということです。
なるほどねー。
このテーチ染めと泥染めを何度も何度も繰り返し大島紬の糸はようやくあのつややかな美しい黒褐色になります。
私たちの体験は半日でしたが、実際の大島紬の糸の場合は1週間~10日もかけるそうです。
わおー!
本当に本当に手間がかかっています。
しかもこの泥染めは大島紬を作る20近くもある工程のたったひとつ!
大島紬が「島の宝」といわれ、多くの職人さんの手を経て、いかに手間と時間をかけて作られているかがうかがえます。
奄美での泥染めの体験は糸ではなくTシャツやハンカチ、暖簾、ストールなど。木綿であれば大抵OK。
工房によっては持ち込みも可能(現地で無地のTシャツなども購入できます)。費用は3000円程度でした。
時間があればオススメですよー!
若い泥染め職人さんたちは、この伝統技術を大島紬の糸だけではなく、Tシャツやネクタイ、Gパンなどに用いて新たな作品として、展開しているようです。今回お世話になった工房でも、都内デパートの物産展などで展示会をすることがあるそうなので、足を運びたいと思いました。
こういう貴重ですばらしい伝統技術が現代の生活にうまくマッチして、また次の世代に受け継がれていくといいなと心から思います。
▼私たちはTシャツやタオル、ストールなどを持っていって染めました。まずはデザイン決め。この作業はわくわくしますね。どんなのになるかな~?
▼テーチ木染め。茶褐色になってきました。漬けてはしぼり、漬けてはしぼりを繰り返します。本土では馴染みのないテーチ木は本当にそこいらに普通に生えています。泥田に向かう途中でも「この木だよー」と教えてもらいました。
▼工房のすぐ近くにある泥田で泥染め。(すみません、染めてるところの写真はありません。あ、足が抜けない~~~~。う、動けない~~~~)本当にきめ細かい泥で、触っているとふわふわ、さらさらで気持ちいい!
▼テーチ木染めと泥染めとすすぎを繰り返すこと約4時間。だんだんと黒く染まっていきます。いやー。しんどかった!!!がんばった!!!
この4時間の間に、スコールのような雨が突然ふってきたり、おとーさんたちがトラックでどやどやとテーチの木を運んできたり、近所のおばちゃんや職人のにーさんの友人たちがふらりと来ては用件を伝えてかえっていったり。職人さんの奥さんが小さいこどもを目の前の道で遊ばせていたり。「ああ、こういうのっていいなあ」と、なんだかとっても懐かしい気持ちになりました。
ゆったりとした島時間の中で暮らすひとたちの日常を、工房の庭で真剣にテーチ木染めをしながら、なんとはなしに眺めていたあの感じを、私はずっと忘れないと思います。
▼出来上がりを見る瞬間(模様を出すために縛っていたところをほどく)は最高です!!!真っ白だったTシャツも、ほれこの通り~!ワンダホー!
使って、洗っていくうちに色が変化して(どうしても色落ちするので)いい感じになっていくのも泥染めの醍醐味だそうです。
工房の職人のお父さんやにーさんたちが皆気さくでやさしくて、本当に楽しかったです。唯一の心残りは、職人のにーさんがその日の夜、名瀬の街でライブをやるということで誘われたのですが、泊まっていたホテルが遠く予定が合わず結局行けなかったことです。機会があれば島歌バンド、聞いてみたい!
▼帰り際、工房のおとーさんが庭に生えていた小さなソテツをむんずと引っこ抜き、「持ってきなー」とビニールに入れてくれました。「ええっ!?これ、飛行機大丈夫ですかー?」とビビる私。「コレはお土産でも売ってるので大丈夫」とおとーさん。無事、家まで運ばれたソテツは鉢に植えられ、「ソテっちゃん」と呼ばれ、元気にしております。
鹿児島旅行では知覧町にも行きました。
知覧の武家屋敷群を見てみたいと思っていたのですが、年配の知人の方から「知覧に行くなら知覧特攻平和会館に」と云われ、武家屋敷群に行く前に寄りました。
恥ずかしいことに知覧が、終戦前の沖縄戦の特攻基地になっていたことなんて全然知りませんでした。
いや。何かで読んだりしたことはあったかもしれないのに、全く、実感として私の中に存在していないものでした。
質素な佇まいの平和会館には実際に使われたボロボロの戦闘機などとともに、10代後半から20代前半の特攻隊の直筆の遺書や家族に宛てた手紙が遺影や遺品とともに陳列されています。
その夥しい数の手紙が、若くして散ってゆくしかなかった特攻隊員の数の多さを物語っていて、まず打ちのめされます。
どの手紙も、本当に流れるような美しい毛筆で、目を見張ります。
父や母や姉妹や恋人に宛てた、潔くも、感謝の溢れる温かい文章。
短い人生の、最後の最後の言葉。
その覚悟に、その重みに、そのきっちりとした美しい日本語に、本当に胸が締め付けられます。
遺影の顔はまだあどけないのに、ちょっと前の日本の若者たちはこんなにもしっかりとした素晴らしい文章を書いていたのかと胸を打たれます。
手紙の文字を目で追いながら、気付くとぽろぽろと涙が溢れ出ていました。
本当に泣けて泣けて仕方がありませんでした。
今、思い出しても苦しくなります。
この気持ちをどうやって表わしていいのかよく分かりません。
ただ、思うのは、日本はたった数十年で本当に劇的に変わったんだなあ、ということです。
それは何がいいとか悪いとかではなくて。ただ事実としてそう思います。
ぼろぼろと泣いた後に、それでも私は知覧で名物のお茶をお土産に買って、指宿で砂風呂に入って。
暢気なものです。
これが今の私の現実です。
そういうギャップにも戸惑いました。
でも、何が出来る訳でもないですが、まずは知ることが大事だと思いました。
知る前と後とでは何かが違う。
全然違う、と思いました。
そして、ギャップを感じること。
今私に出来るのはそれくらいです。
鹿児島に行く機会があれば、是非、知覧まで足をのばしてみて欲しいと思います。
▼いくつか映画もあるようです。旅行から戻り早速DVDを借りて観ました。
『俺は、君のためにこそ死ににいく』
▼江戸時代の武家屋敷が残る知覧武家屋敷群。美しい庭園を見ることができます。
歩き疲れたら知覧茶と鹿児島の郷土菓子灰汁巻き(あくまき)で一休み。灰汁巻きとは文字通り、灰汁に浸したもち米を、竹の皮に包み長時間煮込んで作る鹿児島独特の「ちまき」。きな粉をかけて頂きます。 端午の節句を祝う食べ物だそうですが、昔は薩摩藩の兵糧だったそうです。確かにお腹にたまります。特攻隊員たちにも振舞われたそうです。
▼関東ではあまり知られていないと思いますが、知覧町は静岡、京都につぐ銘茶の産地でもあります。
広大な茶畑がどこまでもどこまでも続いています。
この後、指宿に移動中、ゲリラ豪雨に襲われました。
奄美といえば、鶏飯(けいはん)!
今回の旅の目的のひとつは、実はこの鶏飯だったのです。(嗚呼、食いしん坊、、、)
都内で食べた鶏飯があまりにも味気なくて、一度本場で食べてみたいと思っていたのです。
短い滞在期間だったのですがとりあえず二店行きました。
それもかなり無理やり、、、。
念願の鶏飯。どちらも滋味深く美味しかったです。
シンプルなようで、結構手間のかかっている料理ですね、これは。
素材も良くなければ美味しくできない。
ふぅ~(←美味しさを反芻している)。
▼鶏飯 みなとや
鶏飯とはほぐした茹で鶏や錦糸玉子、奄美の特産タンカンの皮などをご飯に乗せて、地鶏を煮込んでとったスープをかけて食べる鶏茶漬けのような料理です。
薩摩藩の頃、偉いひとがきたときの島のもてなし料理だった炊き込みの鶏飯を、スープをかけて頂く今のスタイルにしたのがこのみなとやさんだそうです。
塩味が効いていて、とにかくさっぱりとしているのにコクがあって、さらさらといくらでもいけてしまいそうです。
暑い、奄美の島にぴったりの料理です。
こんなに美味しい鶏のスープって久しぶりかも。麺を入れても美味しそうです。
鶏飯 みなとや
鹿児島県奄美市笠利町外金久82
TEL. 0997-63-0023
▼けいはん ひさ倉
奄美には二泊しました。
最終日。ホテルの朝ごはんを食べて、帰りの空港に向かう途中にこのひさ倉さんに寄りました。
お昼にはまだ全然はやかったのですが帰る前にもう一度鶏飯が食べたくて。
おひつとスープがドーンと出てくるスタイルなので一人前と云ってもかなりのボリューム。
お店のひとに「朝ごはんを食べてきてしまったのですが、どーしてもこちらの鶏飯を食べたいので、二人でひとつでもいいですか?」と聞いてみたところ快く「全然いいよお」と云ってくださいました。
ひさ倉さんの方が、みなとやさんよりもサッパリ上品な味です。
お腹はすいていないのに、さらさらと食べられてしまいます。
恐るべし、鶏飯!恐るべし、私のお腹!!!
ここのパパイヤの漬物も美味!お土産用もあります。オススメです。
今回の旅で思ったのは鹿児島の人は皆おおらかで優しいということです。
過剰なサービスやおもてなしということでなく、ごく自然にフツーにやさしいのです。
当たり前のことなのですが、それがとっても新鮮で、沁みました。
けいはん ひさ倉
鹿児島県大島郡龍郷町屋入(やにゅう)
TEL.(0997)62-2988
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